元茨木市職員
1981 年大阪生まれ大阪育ち43歳

・シリアのアラビア語語学学校をシリア内戦の為中途退学。
・在シリア日本語補習校 講師
日本にルーツを持つ子どもに、日本語を教えると共に文化継承に力を入れた。
・大手企業で販売員として勤務
・茨木市役所こども育成部学童保育課 学童保育指導員(約10年)
代替指導員のころは市内7校をまわる。その後臨時指導員として平成26年~茨木小、
任期付指導員として平成29年~中津小、令和5年は東小に勤務。
「もりもり」という愛称で、10年で約500人の子どもを受け持った。
子どもひとりひとりの魅力を伸ばし、楽しむ力、生きていく力をつけるよう「毎日をドラマティックに」という気持ちで関わる。
〈シリアという国、内戦を経験して〉
三重大学在学中だったシリア人の夫と結婚、平成17年からシリアに移住
シリアでは、教育や医療の無償化、救済福祉が地域に根付いており「安心して生きる、子育てに不安がない社会」を目の当たりにしました。また外資系企業が軒を連ね経済も活性化し、シリア人の発展意識と暮らしの質は年々向上していましたが、平成23年中東各地で沸き上がった民主化運動「アラブの春」がシリアでも起きます。目まぐるしい経済成長の中で恩恵を受けれなかった者、政治体質に疑問を感じていた者が外国から支援を受ける形で政府と衝突し内戦という最悪の事態が起きました。庶民といえば誰しもが驚き、「そんな馬鹿な。」「こんなことすぐに終わるに決まってる。」と。普段の変わらない日常が徐々に物が手に入らない、外資系企業の撤退など変貌していきました。
人生が翻弄され、人の思い出や未来、命を奪う『戦争』の始まりは静かでした。ある日突然始まった戦争がすぐに終わると信じて13年が過ぎます。始まり方と終わり方では圧倒的に終わり方の方が難しいのです。始まってからでは、何もかもが遅い。今現時点での私たちひとりひとりの意識が未来を変えると思います。
森本れいこは戦争反対、戦争に加担することを強く拒否し続けます。

〈内戦から逃れて、たどり着いた茨木市で生活を再建〉
シリアから出られない夫と親族を残し、
4人の子どもを連れて茨木市で生活を再建。
3か月の乳飲み子、5歳7歳8歳という幼子と彷徨いながら、生活再建のため福祉課へ行きましたが、門前払いでした。その後市議と共に窓口へ行きますと、すぐに申請ができ生活保護を受けることができましたが、なぜ「議員」という切り札カードが必要だったのか、そしてこの方法を全ての人々は知っているのか不安を覚えます。もしかしたら、保護申請を諦め4人の子どもと露頭に迷い命を絶つことがあるかもしれないのです。「自己責任」という言葉の洗脳が人々にだけでなく、行政にも浸透してしまっている恐ろしさを目の当たりにしました。
その後、私は職を得て夫も呼び寄せ保護からも外れ、子ども達は進学し、アルバイトをしています。この市を支えている納税者です。
森本れいこは、市民の生活を底支えし、望む教育を受けてもらい、不安なく商売や労働をし、福祉を充実させて安心して暮らしてもらうことで民パワーは上がると考えます。行政が追求すべきはいかに市民が豊かに安心して暮らせるかであり、排除、搾取、人々の忍耐に頼るべきではありません。

〈発達障害、自閉症を持つ子どもの親として〉
障がいに対する理解の乏しさ。
私の子どもが自閉症スペクトラム障害、学習障害、ADHDなどの発達障害を持っていること、また学童指導員の職務ゆえに深く理解し、研究してまいりました。
わが子の支援学級入級希望時には支援対象児童の多さと職員不足から教師に「支援学級はぐちゃぐちゃで、お母さんが思っているようなマンツーマンで静かに学習ができるわけではないですよ。将来の選択肢が狭まってしまうんですよ。」と説得を受けました。不適切な発言ですが、現実を教えてくれたのだと解釈しています。中学校に上がるに至っては支援学級に在籍すれば内申点は1になるという話で、子どもと話し合い支援学級には入級せず、公的な支援なく本人と家庭の努力で内申点3を得て専願で高校を受けることができました。選択肢を広げるために支援を打ち切るという滑稽さ。
また今年度からは、支援級在籍者は年間の半数以上の時間を支援教室で受けることと文科省はしています。同意せねば支援級に入級できないため多くの保護者が同意書にサインをしたはずです。これは選択ではありません。圧力のある誘導です。
インクルーシブ教育の在り方まで国が間違え逆行しています。
障がいとは「その人」に存在しません。社会にある。
Aさんの道は平たんで、Bさんの道にはハードルがたくさん並べられ乗り越えないと進めないとイメージしてください。そのハードルを撤去するのが社会です。
政治に福祉が盛り込められた意図は「人々が安心してこの土地に居ついて、子どもを産み、労働するため」です。
障がいがあっても尊厳と権利が守られるために、人々の善意に頼るのではなく、しっかりと行政が当事者と現場の声を拾い改善することが、多くの人を救います。
実際に教育保育現場で、指導員として親として「なぜこんな障がいを持っているのにここ(地域の学校等)にいるのか?」という声を何度も耳にしました。
私はその方々を責める気にはなれませんでした。現場は手一杯で質も落ち、手立てを講じることが「負担」となり、休職離職が相次ぎ無限の地獄ループの中で日々頑張っているのです。
誰もかれもが不幸になっていると私は思ったからです。
以前私は販売員でしたが、その時は障がい枠雇用の従業員に対する知識が店長含め店員全員にないとわかり、全く障がい者の立場に寄り添っていない実態を痛感しました。
インクルーシブは単に障がいを持つ者を守るものではありません。全ての人に様々な属性がありそれらを認め合い、可能性を広げることです。
森本れいこは当事者と現場の声を拾い、苦しさを取り除くために取り組んでまいります。